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自分をほめるのってめちゃめちゃダサくない??

自分をほめるのが嫌いだ。そもそも自分が好きじゃない。好きじゃないものをほめるのは苦痛だ。

 

 

以前「生きているだけでほめてくれる○○」という流行があった。

 

「あさ起きられたね!えらい!!」

「会社に行った!君はスゴイ!!」

「ご飯を食べた!よくやった!!」

 

という具合に、多くの人が「して当たり前」だと考えている行動あるいは状態をいちいち取り上げてほめようというものだったが、私にはなかなか受け入れがたかった。ばかにすんなヨ。そんなほめられたがるおこちゃま扱いめちゃめちゃダサいぞ。

 

昔から「自分を追い込むことは良いことである」という考え方はメジャーである。ブッダのいた頃は苦行の修験者が多くいたし、上に立つものほど自分を律することに長けている。自分を律することのできる者は、事を成しえやすいということは、昔も今も言われていることではないだろうか。

 

自分を律するとはどのようなことだろうか。毎日習練する。欲望に勝つ。自分を甘やかさない。私はそのような印象でとらえてきた。

 

ところが、どうやらそうではないようだと最近感じる。自分に厳しくすることで、言うことを聞かなくなる自分がいると感じるようになった。抑圧すればするほどそれに反発する自分が顕現し、自律とは真逆の方向へ向かってしまうことが多いのだ。

 

そう、自律とは自分に厳しくするのではなく、自分の手綱を握ることだとようやく理解した。自分がやる気を出すのはどのような条件のときか、自分のモチベーションはどこに存在するのかを把握することで、自分自身を理想の方向へ誘導することが大事なのだ。きっとそうに違いない。

 

すると、前出の「生きているだけでほめてくれる○○」に対する見方も変わってくる。あの手放しにほめるという行為は、余計な欲望の発散とモチベーションの所在の明示を容易にする、まさしく自律そのものだったのではなかろうか。ほめられたがるおこちゃま扱いはダサいと考えていた私こそが、私の中のおこちゃまの手綱を握れずにいたおこちゃまだったのではなかろうか。そういうことにしておく。

 

そうなれば話は早い。私も無理やり自分をほめることで、自分を理想へと導くことができるに違いない。

 

さて、私にとっての理想とは、目下創作活動である。この活動を律しようとして自分を追い込むようにしていたが、これまでなんども挫けたり、理由をつけて逃れようとしていたあたり、やはり自律とは程遠かったのだろう。さっそく自分をほめることで、自律の第一歩を達成して見せる。

今日は2コマもまんがを描いてえらいね~~~!!!

 

 

 

 

 

・・・なるほど、たった2コマしか描いていないので、違和感が強くてあまり嬉しくないが、慣れればこの行為に安らぎを感じるようになり、創作意欲、ひいては善く生きる意欲につながるだろう。これからはなるべく毎日自分をほめていくことにする。

 

 

 

あっ

 

 

ちゃんと自分をほめることにしてえらいね~~~!!!

 

 

 

・・・よし。たぶんこういうことだろう。